SHORT STORY

HIGH CARD Short Story - 010 サンフィールズにお客様

作:武野光  絵:えびも

 いつもお世話になっています。どうぞ、お掛けください。何のお構いもできませんが。
 こらっ、入って来ちゃダメだよ。お客様が来るときは邪魔しないでっていつも言ってるだろう? 遊びにいらしたわけじゃないんだから。
 ほら、出た出た。後で遊んでもらう、じゃないよー。
 ──すみません、騒がしくて……。
 ええ、いつも賑やかすぎて。子供と言っても性格はいろいろですが、ここに来たらいつの間にかみんな笑顔になっているんです。それが私の一番の自慢ですね。
 そうです、よくお分かりで。サンフィールズというのは、サンフラワー……向日葵から取った名前なんです。毎年、裏庭で向日葵を育てているんですよ。夏になったら沢山の花が咲いて……とても綺麗なんです。

 子供たちが太陽の花のような笑顔になってほしいということで、先代の施設長──私の育ての親の二人が作りました。
 はい、私自身もここの出身で……と言っても未だにここに居ついてしまっていますが、最初の卒業生になりますね。他に仕事もしていたんですが、その先代夫婦が高齢になって、跡継ぎがいなかったので早くに私が譲り受けました。ええ、ずっと一人で運営しています。なにぶんお金のことは得意ではないので経営も厳しくて……あ、ごめんなさい。こんなことお客様にする話ではないですね。
 ……はい、そうです。私が施設長になってから卒業した最初の子供が彼ですね。だから思い出も多いですし、何かと心配になってしまいます。
 初めてここに来たときの彼はこんなに小さくて……今では考えられないくらい大人しかったです。言葉数も少なくて、他の子供たちも揃って「あの子の笑ったところを見てない」なんて言うんです。食事もほとんど口にしないことが多くて、見る見るうちに痩せていったりして……。
 ご存じかと思うのですが、当時、彼はここに来た理由も分からず……というより記憶が無かったので、私達も彼自身も、彼のことが何も分からなかったんです。トランプのようなものは持っていましたが、それも何か分かりませんでしたしね。
 でもある日、クリスマスに向けてみんなで歌の練習をしていたことがありました。私がピアノで伴奏をしていたんですが、彼は歌わずに、じーっと私のほうを見ているんです。
 無理強いせずに、子供たち自身がやりたいことをさせるという方針ですから、彼には歌わせずに私の膝の上に座らせたんです。そのときは、興味があるなら近くで見ればいいと思っただけでした。
 そうしたら……ぽーんぽーんと、私の伴奏に合わせて鍵盤を叩き始めたんです。最初はでたらめに触っているだけだと思ったんですが、ちゃんと合っているんです。単音ではありましたが、言うなれば連弾ですか。知っている曲でもなかったようですし……だから試しにちゃんと椅子に座らせてみたら……。
 とてもびっくりしました!
 それは見事に同じ曲を弾いてみせたんです!
 子供たちも興奮して……他の子も複雑な家庭環境の子が多いのでピアノを習っていた子なんていませんし……すごいすごい、もっと弾いてってはやし立てて。
 あのときの彼の照れ臭そうな笑顔は、忘れられません。まさに向日葵のような……これがこの子の本当の顔だったんだなって。
 それからですね。彼が、私にも他の子供たちにも打ち解け始めたのは……。彼の本来の性格もあって、他の子たちと喧嘩なんかしたりして……。こう言ってはなんですが、嬉しかったですね。この子は考えるよりも気持ちで動く子だったんだって。
 でも誤解しないでください、ああ見えてすごく賢い子なんです。あはは、意外ですか? 勉強は嫌いだったので、今でもからっきしですが。
 それで話は戻りますが……彼に記憶が無いなんてことは、子供からしたら関係ありません。ただ目の前にいる彼という人間と、みんな関わっていました。
 だから、みんなで本当の彼を探すというより、一緒に作っていくような……人への思いやりとか、一生忘れないくらいの思い出とか……何もかもをみんなで積み上げていきました。
 だから、彼にはこのサンフィールズこそが自分の生家なんです。そう思うのは仕方が無いことかもしれませんが……。
 はい。彼はこのサンフィールズが自分の家で、他の子供を家族だと思っています。途中で里親が見つかって出て行く子もいますが、それに慣れるまでは……夜中に私のベッドに入ってきて、朝まで泣いたりしていましたね。ありがたいことですが、私のことも実の親のように思ってくれています。
 でも、それじゃいけない……。
 施設の外にこそ、本当の家族を作らなければいけません。彼は卒業した子供たちの中でも一番沢山、帰ってきてくれます。もちろん嬉しいのですが……いつか、それではいけないんだと言わないといけません。
 でも、私もはっきりと口にできなくて……。私の至らないところです。
 え?
 ……ははは。そうですね。
 彼には言えませんが、自慢の息子ですよ。私にとっては一人残さず特別な子ですが、手のかかった子ほど割り切れないですね。それに、彼は誰よりも優しいんです。大きくなってから外のちょっとヤンチャな子たちと仲良くし始めたので誤解されますが……あんなに他人を思えて、行動できる人はなかなかいません。
 ……あっ。まったく。
 ほら、また帰って来ましたよ。いつも連絡してくれないんです。

 古びた門扉の前に社用車を停めた。降りるや否や、子供たちが気付いて門の向こうから近寄って来る。
「あー! フィンだー!」
「ねえ、おみやげ! おみやげは!?」
 中に入ると、数人の子供が駆けてきて、俺の腰の周りにすがりつく。
「だーっ、こら! このスーツ高いんだよ、手ぇ洗ってねーだろ」
「お菓子!? パン!? ジュース!?」
 俺の持つ紙袋に夢中で、聞く耳を持っていない。
「だーから、手ェ洗ってこいって言ってんだろ。泥まみれのスコーンなんて……あっ、やべっ」
 思わず口が滑ってしまった。それを聞いて子供たちが目を輝かせる。
「やったー! スコーンだー!」
 そして一目散に手洗い場に走っていってしまい、ひとっこ一人いなくなってしまった。
「なーんだよ、現金な奴らだなぁ」
 言いながら、自然と笑みが湧いてくる。落ち着くとか懐かしいとかではなくて、ここが俺のあるべきところなんだなとしみじみ思う。

 何百回と追いかけっこをした廊下を歩いてくと、すぐに執務室がある。姿が見えないとき、リンジーは大体そこにいる。
 これまた何千回と握ったドアノブを、ノックもせずに開いた。
「……やーっぱりな、あんただったか。ここに似合わねぇ高そうな車があると思ったんだ」
「どうも、ごきげんよう。フィンさん」
 バーナードのじいちゃんだった。どこからどう見ても紳士然とした茶色い厚手のジャケットを纏っている。
「来るなら何で俺に一言言ってくれねーんだよ」
「抜き打ちですから」
「何を抜き打つんだよ。テストはもう十分だっつーの」
 バーナードのじいちゃんはソファに腰かけていた。ローテーブルを挟んで目の前にいるのはリンジーだ。
「フィンのほうこそ、いつも連絡無しに来るじゃないか。それに……まさかいつもバーナードさんにそんな調子で話しているんじゃないだろうね」
「まーまー、いいじゃん。これでも職場では結構ちゃんとしてるんだぜ? な、じいちゃん」
 じいちゃんは声には出さずに、小さく笑みながら目を細めた。「な?」と、俺はその視線を眼で受けて反射するように、リンジーを見た。
 リンジーは立ち上がると腰に手を当てて一息吐いた。それからエプロンの紐を結び直しながらミニキッチンに移動する。棚からマグカップを取り出した。
「それに、帰ってきたら何て言うんだい?」
「おっす、リンジー。ただいま。スコーン買ってきたけど、早速子供らに持ってかれちまったよ」
「もう今頃無くなってるだろうね。喧嘩になっていないといいけど」
 リンジーはポットからマグカップにお湯を注いでいる。
 俺がソファに勢いよく座り込むと、隣にいたじいちゃんの体が少し浮いて「おっと」と呟いた。
「で、じいちゃんは結局何しに来たんだよ」
「それはもちろん、リンジーさんにご挨拶に参ったのです。フィンさんは社員になりましたし、ほとんど初めての就職になりますから……ご安心いただく必要もありましょう」
「いろいろと聞かせていただいたよ」
 リンジーが俺の前にマグカップを置いた。湯気立つココアだ。幼い頃、学校の徒競走で勝ったときとか、叱られた後に慰められるときとか、何かにつけて飲まされた。昔は砂糖を沢山入れてくれとせがんだものだが今となっては甘すぎる。でも、ここではこのココアが飲みたい。
 リンジーも元居た場所に腰かけた。
「ご迷惑はかけていないだろうね? いや、かけているとは思うけど……」
「なんだよ、その言い草。全然信用されてねーじゃん」
「だってフィンが……ピノクルなんて大企業に入るなんて思わないだろう? しかも工場での勤務とかではなくて……そういうぴしっとした格好でお客さんに車を販売しているんだよね?」
 俺は自分の襟を掴んで大袈裟に正した。
「俺、早速すげー顧客捕まえちゃってさぁ。アップルさんって言うんだけど、すっげー金持ちっぽいんだよ。しかも何かと俺に担当させたがるんだ」
「フィンがピノクル・オートモービルズでセレブを接客か……全然想像できないよ」
 じいちゃんが、ほほほ、と口ひげを揺らして笑う。
「フィンさんは立派にお勤めですよ。大切なのはマナーと気品です。無論、話し方やお作法は学んでいただく必要がありますが……気高さや心の豊かさは教えても身につかない。きっとこの場所で、リンジーさんや仲間たちから授かったものなのでしょうね」
「そういうものでしょうか……」
 リンジーはどうも納得していないというか、いまだに信じられない様子だった。
「だったら今度職場も見に来てくれよ」
「そんな……お邪魔になるだろう」
「いえいえ、全く構いません。いつでもお越しください。上司のレオにも挨拶をさせましょう」
「レオさん! ぜひお会いしてみたいですね。若い身空で立派な方だと伺っています」
「うげっ。子供店長なんか会わなくていいよ」
「なぜだい。すごい人なんだろう。この前は電話で褒めていたじゃないか」
「ばっ……! リンジー、じいちゃんの前でンなこと言わなくていいんだよ!」
 するとじいちゃんは、また「ほほほ」と目を細めた。

 バーナードのじいちゃんを交えて、しばらく談笑していた。リンジーとは週に一度は電話で話しているが、実際に顔を合わせる機会はそれほど多くはない。それに今回はじいちゃんが普段の俺とは違う観点で話をしてくれたので、リンジーにとっても新鮮なようだった。
 じいちゃんはやはり流石で、俺のことをよく立ててくれた。これが紳士の嗜みというやつだろうか。
 もちろんエクスプレイングカードの話なんてできないから、俺の仕事の大部分は切り落としているわけだが、実際のところハイカードとしての任務は毎日あるわけでもない。リンジーが俺の日常を知るには十分だっただろう。
「あっ、そうだ! 肝心なこと忘れてたわ」
 俺が声をあげた。
「どうしたんだい?」
 俺はリンジーの顔を見る。
「そういえば今日、デートかもしれないって言ってただろ。結局、どうなったんだよ」
 俺の言葉に、リンジーが背中を反らせて赤面した。
「なっ……! フィン! な、何を言うんだい」
 目を泳がせつつ、ちらちらとじいちゃんを見ている。
「この前電話したとき言ってただろ。デートに誘われてるんだって」
「ちちち、違うよ。そんなんじゃないって。たまたま食事に誘われただけで……もう断ったし」
 両手を顔の前に出して小刻みに揺らしている。
「クライドだっけ? 書店で同じ本をとろうとして手が触れ合ったとか……どんなラブコメ映画だよってな!」
「こ、こらっ。大人をからかうもんじゃないぞ」
「一見は強面だけど、眼鏡の奥の瞳が優しそうなんだっけ?」
「それは言ってない!」
 俺は手を出して指先をリンジーに向ける。
「ほら、スマホ出して。今から会おうって連絡しろよ」
「えっ。いやいや……どっちにしても子供たちの面倒を見ないといけないから無理だったんだよ」
「何のために俺が来たと思ってんだよ。2~3時間くらい見てるって。絶対、予定空いてるから」
「でも……一度断ってるし……」
「ダメだったら明日行けばいーだろ。俺、ユーキューキューカとるよ! な、じいちゃん」
 じいちゃんは思案するように一瞬黙ったあと、小さく頷きながらリンジーを見る。
「レオ様がお許しになるかは保証いたしかねますが、そのときは私からもお願いしましょう。もしにべもなく断られたとして……そのときは差し支えなければ私がここに参りましょう」
「な、何をおっしゃるんです! バーナードさん!」
「さっすがじいちゃん、ノリがいいな。ほらほら、決まりだ。電話しろ、電話。俺が勝手にかけるぞ」
 俺が立ち上がってリンジーのポケットに手を入れようとすると、リンジーは避けるように背中を向けて立ち上がって、肩越しに不服そうな顔を浮かべた。
「わ、分かったよ……」
「ほら、ここでかけろって!」
「かけないよ!」
 リンジーは言いながら部屋を出て行った。俺が声をあげて笑っていると、じいちゃんも小さく笑んでいた。

 結局、その後リンジーは、そのクライドとのデートに出かけた。渋々行かされている雰囲気を出していたが、髪を撫でつけて、髭を整え、一張羅らしきジャケットを羽織って行った。いつものリンジーは家庭的過ぎてつい忘れてしまうが、結構な男前だ。昔はそれなりにモテていたらしい。
 いつだったか、リンジーに結婚はしないのかと聞いたことがあるが、施設のことで精一杯だから考えられないと言っていた。どうやら、そのときのパートナーともいつの間にかお別れしていたらしい。
 でも、その時、リンジーが微笑みを浮かべて俺を抱き寄せながら、君達がいるだけで心の底から幸せだと思える、と言っていたのは覚えている。
 でも、リンジーにも人生がある。少しくらい羽を伸ばす機会があってもいい。俺がピノクルで活躍して給料が上がれば土地を買い取るだけじゃなく、人を雇えるようにもなるだろう。そうしたらリンジーには楽をさせられるはずだ。
 ──それから3時間。なんとバーナードのじいちゃんが施設に残ってくれていた。
 しかし、それはそれは大変な騒ぎになった。
 なにせ珍しくお客様が来ていて、しかも遊んでくれるというのだから、子供たちは大興奮だった。
 まずは追いかけっこだ。子供の体力は無限だし、しかも入れ代わり立ち代わりするので、さすがに俺もへとへとになった。しかしじいちゃんに至っては、体力の使いどころの見極めがすごいのか、俺と同じくらいは走っていたはずなのに、息一つあがっていなかった。
 次に食堂で始まったのはマジックショーだ。じいちゃんはこの施設に元からあったハンカチやらトランプやらを使って、何か出したり変えたりと──これまた子供たちは大興奮だった。
 子供たちは俺なんかには見向きもしていなかったが、嬉しそうで何よりだった。じいちゃんは「また遊びに来てもよいですか?」と言って、ショーを締めた。
 時を同じくしてリンジーが戻って来て、俺が「デートはどうだった?」と聞くと、照れくさそうに指でVサインを作った。彼がロマンス小説や映画を好むのは知っていたが、こと色恋話になると、俺にはよく分からない人格が出てくる。Vサインの意味も何かよく分からなかったが、今度電話で聞くことにしよう。
 そして夜になり、俺とじいちゃんはそれぞれの車で支店に帰った。子供たちがいつまでも手を振っていたが、きっとそれはじいちゃんに向けられたものだろう。

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