SHORT STORY

HIGH CARD Short Story - 005 ポイズン・フェノメノン

作:武野光  絵:えびも ロゴデザイン:清水真利亜

「違うってば。分かるよ、お前の言いたいことも。でもやっぱ初期が一番なんだって。リフが際立ってんだろうが」
「いや、違うね。最も優れているのは中期だ。完成形といえる後期への変遷に見られた他ジャンルとの実験的融合が耳に染み入る」
 オールドメイド支店のショールームにいる。
 俺はレオのデスクまでスツールを引っ張ってきて腰かけていた。レオはひじ掛けと背もたれに体重を預けながら、意外とたくましい脚を組み替えた。
「だから、フロントマンのビルの真価は初期の粗削りな曲作りがあってこそ発揮されたわけだろ」
「否定はせん。だが学術に裏付けられた音楽的多様性があったからこそポイフェノは評価を得たんだ」
 ──ポイズン・フェノメノン。略してポイフェノ。
 俺が心酔するFKロックバンドだ。孤児院では小遣いなんてもらえなかったから、何とかして金をかき集めて、少しずつ中古CDやグッズを買い集めてきた。
 以前、ひょんなことから、実はレオもポイフェノのファンだということを知った。それからちょこちょこポイフェノ談義に花を咲かせているわけだが、生まれも育ちも違い過ぎるせいか、どうも根っこの部分で趣向が合わない。
「レオ。お前、もう一回聴いてみろって」
 俺はイヤホンをスマートフォンに繋ぎ、片方のイヤーピースをレオの耳に突っ込んだ。
「おい、許可なく俺の身体に触れるな」
「いいから聴け」
 残ったほうは自分の耳に入れる。再生ボタンを押して流れてくるのは1stアルバムのキラーチューンである〈Get Me Out〉だ。
 インディーズ時代の、お世辞にも良いとは言い難い収録環境だからこそ、ボーカル兼ベースのビルのカリスマ性が際立っている。俺は思わず曲に乗せて身体を揺らした。何度聴いても心が震える。
「なに、2人とも。そんな恋人同士みたいなことして……何が起きたの?」
 書類を手にしたウェンディが覗き込んでいた。事務作業用の眼鏡を外しながら目をしばたたかせている。
「ポイフェノ聴いてんだよ。神聖な時間に水を差すんじゃねー。爆音で流すぞ」
 ショールームには元々、クラシックだか何だかよく分からない、たらたらしたお上品な曲が流れている。
「フィン。ウェンディは芸術面に関してはからっきしだ。話したところで何も分からん、許してやれ」
 ウェンディが小さく悲鳴をあげると、手から書類がばさばさと落ちた。それから両手で口を押える。
「レオがフィンに加勢してる……気持ち悪い……」
「どうして。仲睦まじく2人が過ごすなんてすばらしいことでしょう」
 自分のデスクにいたヴィジャイが割って入ってきた。
「これは類似性の法則、ですね。ポイフェノが彼らを繋いでいるんです」
 ガラスマグに入ったチャイを口にしながら、デスクの小さな観葉植物の葉を指先で撫でた。
「ていうかポイフェノってなに?」
 ウェンディが言った。
 俺は不意をつかれて、椅子から転げ落ちた。
「あんた、ポイフェノ知らねーのか!?」
「えっ。知らないけど。なんか悪いの?」
 レオも空色の目をひん剥きながら立ち上がっていた。
「貴様、本当にフォーランド人か!?」
「やべーよ、ウェンディ! ガチでやべぇ!」
「えっえっ……私やばいの!? ヴィジャイは知ってる!?」
 ウェンディは、自覚はないがミーハーなところがあり乗せられやすいクチだ。
 ヴィジャイが僅かな波も感じさせない瞳を返す。
「知っていますよ。シルフィウム州出身の4ピースバンド。音楽通から高い評価を受けてスマッシュヒットを連発しました。初期はリフが印象的なハードロック寄りのFKロックでしたが、メンバー全員が音楽大学出身という背景もあり、中期にはジャズやフュージョンなども取り入れました。後期には確かなグルーブ感にプログレッシブな空気も取り入れつつ、それでいてポップなサウンドを完成させました。後のフォーランドの音楽シーンに大きな影響を残したと言われています。特定のジャンルに括ることは難しいものの、非常に完成度の高い作品を発表し続けましたが、活動期間が短いこともあり伝説的バンドと言われています」
「いやいや……詳し過ぎるでしょ」
 突然、饒舌に語り始めたヴィジャイにウェンディが引いている。俺は興奮して言った。
「ヴィジャイ! あんたも隠れファンだったのか!?」
「特にそういったことはありません」
「じゃあこえーよ。あんたは何を知らないんだ、逆に教えてくれよ」
 俺も引いた。
 するとレオがショールームの中央に出る。
「臨時休業だ。お客様がいらっしゃったらバーナードに対応させろ」
 ウェンディが両手をグーにして訴える。
「はっ!? いやいや、そんなこと勝手なことしちゃダメ──」
「ポイフェノだぞ! ウェンディ貴様、分かって言っているのか!?」
「そーだそーだ!」
 激昂したレオに便乗する。
「ここぞとばかりに結託して……」
「フィン、流せ」
「あいあいさ、店長!」
「まったく……いつもこれくらい従順だったら仕事ももっとスムーズにいくんじゃないの」
 ウェンディが精いっぱいの嫌味を込めて言った。それを無視して俺はスマホの音量を最大に設定した。
「ミュージックスタート!」

 レオの指示によって、支店にはしみったれたいつものBGMではなく、ポイフェノの最高にクールなFKロックが流れた。
 俺はサウンドに身を委ねながら聴き入った。
 レオは腕組みをしながら目を閉じ、ウェンディは難しい顔をしながら傾聴している。ヴィジャイは変わらず微笑しているのかよく分からない表情を浮かべながら観葉植物を見ている。
 2ndアルバムから選曲した〈Love Imitation〉が終わった。
「どうだ!?」
 俺は勢いよくウェンディのほうを振り返った。
「うん。まぁ、かっこいいけど……」
「だろ!? 次の曲に行くぞ、レオ!」
「行け」
 俺はスマホで次の曲の〈This Girl〉を流した。テンポが速く、メロディラインの良さでは随一の曲だ。このアルバムの中なら俺のお気に入りだ。
「ダメだ、我慢できねえ!」
 俺はジャケットとシャツを脱ぎ、オレンジ色のTシャツ姿になる。
「おい、フィン。ピノクル社員がスーツの下にTシャツなど着るな。はしたないぞ」
 レオがたしなめてきた。
「俺のラッキーアイテムなんだよ。これを見ろ!」
 背中を向ける。ポイズン・フェノメノンのロゴがでかでかとバックプリントされている。
 ウェンディが難しい顔のままで見ている。
「バンドTってやつ?」
「どうだ! かっこいいだろ!」
「え……うん。かっこいい、かっこいい」
 するとヴィジャイが口を挟む。
「この波紋状になっているPの部分は、バンド名である『毒の影響』が起きている様子を表しているんです」
「なんであんたが解説するんだよ」
 その後もしばらくポイフェノ試聴会は続いた。
 最初は初期の俺のイチオシ曲を流したが、その後は中期から後期にかけてのレオセレクションを流していた。
 聴いていると自然と身体が揺れてしまう。
「ノリノリじゃないか、フィン」
「そりゃそうだろ。中期からダンサブルな音楽性にシフトしたからヒットしたわけだろ。踊れるロック、最高じゃねーか」
「お前のような下賤な人間でも理解できるところがポイフェノの偉大なところだな」
 ポイフェノの曲の中でなら、レオの無駄な悪口も軽く聞き流せる。するとヴィジャイが言った。
「フィンは何かと器用ですからね。せっかくですから見せてください」
「あ? 何をだ?」
「ダンスですよ、踊れるんでしょう? 見てください、ジャスティンもノリノリです」
 ヴィジャイがずいと観葉植物の鉢を押し出す。
「植物が踊るわけねーだろ」
「おい、いちいちヴィジャイの発言に突っ込むな。ややこしくなるだろうが」
 レオの表情に珍しく戸惑いがうっすらとある。
「細胞が音の波で揺れています。ほら、フィンも」
 ウェンディがヴィジャイの肩に触れる。
「ヴィジャイ、無茶なこと言わないの。フィンがダンスなんてできると思う?」
 フォローのつもりで言ったのかもしれないが、かちんと来た。
 俺はおもむろに立ち上がる。
 そのままショールームの中央に向かって軽く助走をつけて側転し、勢いで前宙をかます。ウェンディが小さく悲鳴を上げたのが聞こえた。
 それから軽く数回、音楽に合わせて身体を振って、一気に肩から床に飛び込んだ。大股を開いて勢いのままぐるぐると回転して、飛び上がるように立ち上がる。
「へっ。こんくらいはできるっつーの」
 ブレイクダンスだ。俺は親指で鼻先を払った。
 ウェンディが黄色い声を上げる。
「すごいフィン! かっこいい!」
「え、マジ? へへへ。ストリートダンスやってる友達に習ったんだ。頭だけで回るやつもできるぞ」
「スーツを破いたら給料から天引きするからな」
 レオが言った。給料が減るのは困る。任務中に汚したなら経費で切れるだろうが、こんなことでスーツをダメにしたら、レオは本当に俺に払わせるだろう。
 もうアクロバティックなことはやめようと反省した矢先──レオが言った。
「それにしてもよく仕込まれた猿だな。ご褒美にバナナでもくれてやろうか」
 またかちんと来た。
「あ~ん? テメー、自分が踊れねーからってひがんでんじゃねーぞ」
「ちょっとフィン、食ってかからないの。レオも素直に褒めたらいいでしょ」
「レオ~。どーせお前はお遊戯会とかで踊れなくて泣きべそかいてたクチだろ」
 するとレオが歩いてきて俺の前に立った。
 下から睨みつけてくる。眼光の鋭さは14歳のそれではない。
「お、やる気か? ボクシング教えてやろうか?」

 俺がストリート仕込みのダンスを披露したあと、レオが食って掛かってきた。フェイスオフの状態だ。
 するとレオは、ふふん、と嘲笑を込めた息を吐き、唇の片側を持ち上げた。
「フィン。お前のおつむでは記憶できていないようだな。俺は英才教育を受けている。俺にできないことは無いんだよ」
「口だけは立派だなぁ。どーせハッタリだろ? できるっつーなら、お前もやって見せろよ。ンな度胸はねーだろうけどな」
「口の減らないやつだ」
 するとレオは踵を返して歩き出した。
 その先にはウェンディがいる。きょとんとした顔で突っ立っていたウェンディの手を、下から優雅な手つきで取った。
「えっ、えっ、えっ」
 ウェンディが戸惑いの反応をする。
「来い」
 否応など聞き入れないというように、ショールームの中央まで引き連れる。
 まさかこいつ……。
「ムリムリムリ! 私、ダンスとかできない!!」
「エスコートしてやる。俺に合わせろ」
 レオがウェンディの腰に手を回して、ぐいと引き寄せた。2人に身長差はほとんどないが、リードしようとしているせいなのか、いつもよりレオの背が高く見える。
「ボールルームダンスですか。いいですね」
 ヴィジャイがさっきよりも少し笑みに近い表情を浮かべているが、語り掛けているのは植物(今日はジャスティン)だ。
 俺はスマホをいじって、アップテンポのナンバーを流してやった。
 ──レオの導きのままに、2人は踊り始めた。
 最初はよたよたした硬い動きをしていたウェンディだったが、さすが剣術家だけあり、体さばきは大したものだった。すぐに順応してなかなか様になっている。
 レオが逐一、ウェンディの耳元で次の動きを囁いている。ステップの中に足を払うような動きが混じっていて軽快だ。レオが手を天井に向かって伸ばすと、くるりとなめらかに回ったウェンディの髪が花のように広がる。
「ジルバですね。曲調に合わせてオリジナルの動きも入っています」
 ヴィジャイも僅かに頭を揺らして音楽に乗っている。
 するとウェンディがレオの腕を支えにして背中を大きく反らした。ウェンディの表情は緊張しつつも楽し気だ。一方、レオの顔はいたって真面目だ。
「くっ。さすがピノクルの御曹司だな……」
 これは守備範囲の広さを認めざるを得ない。
 そのときだった。
「なになに。なんで臨時休業なんかしてるのかと思ったら、騒がしいじゃないの」
 外出していたクリスが戻ってきた。
 そして困惑の表情で後ずさる。
「うわっ、ウェンディがダンスしてる! 似合わない!」
「うるさい! やりたくてやってんじゃない!」
 ウェンディが躍りながら返した。
「ていうかポイフェノじゃん、フィンの好きなやつ。いいねえ、じゃあ俺も混ざろっかな」
 クリスはクラッチバッグをソファに投げて、軽く跳んだ。着地するときに革靴の底が床の大理石に当たって、2度、軽快な音を鳴らす。
 そのままクリスは足でリズムを刻みながら、腕が指先まで布になったかのように優雅に舞った。
「すげぇ!」
 タップダンスだった。ロックナンバーに合わせているため恐らく本来の動きとは違うのだろうが、見事に音楽に乗り切っていた。繊細さの中にダイナミズムがある。
「クリスにこんな一芸があるなんて、知りませんでした」
 ヴィジャイが言うと、クリスが躍りながら上体を捻って顔を向ける。
「これくらいやれないと色男は名乗れないでしょ」
 くるりと、華麗にターンを決めた。
 すると──。
「皆さん、アルコールでも飲まれていますか?」
 バーナードのじいちゃんが事務室から現れた。
 皆が一斉に口を閉ざす。俺は慌ててスマホを操作して音楽を止めた。
 静寂が流れる。
 じいちゃんの表情は普段と何一つ変わらない。穏やかな海なのに、底が見えないときのように、本能的な恐怖心を煽られた。
「……全員、仕事に戻れ」
 レオの一言で、俺たちはそそくさと解散した。
 ヴィジャイだけは穏やかな顔のまま、観葉植物を指先で優しくつつきながら、変わらず頭を小さく揺らしていた。

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