SHORT STORY

HIGH CARD Short Story - 003 レオ様のお迎え

作:武野光  絵:えびも

「──ですので、本日、私はレオ様のお迎えに行けません。どなたか代わりをお願いできますか?」
 バーナードのじいちゃんがショールームにいた俺たち4人に言った。放課後のレオを社用車で迎えに行けというのだ。しかし誰も返事をしない。
 じいちゃんが小さく息を吐いた。
「予想通り……立候補はいないようですね」
 クリスが展示車をクロスで拭きながら苦笑する。
「レオと2人きりとか誰でも嫌でしょ。お小言地獄が始まるに決まってるんだから」
 展示車の反対側に立っていたヴィジャイがたしなめる。
「クリス、決めつけは良くありませんよ。うん、ハッピーさんもそう思いますか」
「あんた、誰に向かって言ってんだ──」
 俺が言いかけて、ヴィジャイの視線がデスクの黄色い花に向けられているのに気付く。するとクリスが目を1秒くらい閉じてみせた。俺への合図だ。長いまつ毛の存在感で分かりやすい。
 ヴィジャイの深堀りは禁物、だな。分かってるよ。
 俺はカウンターに顔を向けた。
「ウェンディは? たまには外に出ろよ。いつも机に向かってるだけじゃねーか」
「キミね……」
 ウェンディが黒ぶち眼鏡を外しながら顔をあげ、ボールペンで空中を突く。
「私がどれだけの事務仕事と、あなた達のサポート業務を捌いてるか分かってる? キミにパソコンの起動ボタンの場所から判子の押し方まで教えたのは誰?」
「……すみませんでした」
 短い言葉に込められた迫力が凄い。俺は気付くと直立して首を垂れていた。
「フィン、ウェンディの手を煩わせるんじゃないよ! 俺の愛の指導が届いてないのか!? お尻を出しなさい!」
 クリスが口出しすると矛先が変わった。
「新人は手がかかって当然なの! ちゃんと指導してないクリスが悪い! フィンは悪くない!」
「……誠に申し訳ございません」
 いつの間にかクリスも直立して深々を頭を下げていた。するとヴィジャイが後ろからクリスの背中に触れる。
「クリス、泣いてないですか?」
「同期に怒られて泣くか! フィン、いいからウェンディを刺激するな! ていうかあんまり接触するな!」
「なによ、人を腫れ物みたいに……」
 ウェンディはぼやきながら眼鏡をかけ直し、電卓を叩き始めた。クリスがため息をつく。
「もうこうなったらあれだな。伝統に則って──」
「ポーカーか!」
「ヤダ。私、強くないもん」
 俺は乗り気だったが、ウェンディは違ったらしい。
「いや、俺とフィンとヴィジャイでやる」
「私もですか? 構いませんが……」
「ダメ! どうせヴィジャイが弱いからでしょ!」
「私、ポーカー弱いですか?」
 曇りの無い瞳を向けられ、ウェンディは目を泳がせた。
「まぁ……はっきり言うのは……あれだけど……」
 ヴィジャイはインテリのくせに恐ろしくポーカーが下手だ。頭が良すぎて300度くらい考え方が曲がってしまっているのだろう。
「だいたい仕事をポーカーで押し付け合うなんてダメでしょ。ね、バーナードさん」
「ウェンディさんの言う通り、これも業務の範疇ですから賭け事にするのは良くないですね」
 するとクリスが軽快に、ぱちんと指を弾いた。
「よし、フィンが行け。これは先輩命令だ」
「ええっ!? なんでだよ! ズルくね!?」
「遅かれ早かれレオのお迎えに行くことはあるんだから、早いうちに経験しとくんだよ。それにちょうど新作の車の試運転もしなきゃいけなかったのよ」
「それ、あれだろ! 職権乱用ってやつじゃねーのか!」
「違う! 教育的指導だ! 行け! もう帰らぬ人になるかもだけど! 今までありがとうね!」
「身の安全は脅かされないと思いますが……」
 ヴィジャイが冷静に言った。
 納得いかなかったが、俺はそこで妙案を思いついた。
「……クリスのライカって修理終わったよな?」
 ぎくっ、と音がしそうなくらい露骨にクリスが肩を強張らせる。ライカとはクリスの愛車だ。
「あれに乗っていいなら行くぞ。じっくり運転してみたかったんだ。いい車だよな」
 するとクリスが背を向ける。
「ヤダ」
「ちょっと貸すくらい、別にいいでしょ」
 ウェンディが加勢する。
「ヤダヤダ!」
「いーじゃんいーじゃん。減るもんじゃねーし」
 俺は回り込んで、下から顔を覗き込む。
「ヤだよ! なんで免許取りたてのベイビードライバーに俺のマドモアゼルを貸さなきゃいけないのよ!」
「どうやら決まりのようですね」
 静観していたバーナードのじいちゃんが、絶妙なタイミングで話を切り上げた。
「へへっ。ほら、キーくれよ」
 クリスが苦虫を噛み潰しながら鍵を手渡してきた。そして胸ポケットからキャラメルのようなものを取り出して、乱暴に口に放り込む。
 俺はポケットに入れていたサングラスをかけた。
「……なにそれ?」
 ウェンディが言う。
「いーだろ。クリスが昔使ってたやつをもらったんだ」
 クリス以外の3人が顔を見合わせる。
「なんだよ……。なんかあんのかよ?」
「う、ううん。気にしないで。大丈夫……」
「あ、新人いびりだろ! ありもしない因縁とかをでっち上げて俺を騙そうとしてんだな!」
「…………」
「なんか言えー!」

 ライカはクラシックな外観のくせにカーナビが備わっているため、レオの通うラミー校には迷うことなく到着できた。荘厳な造りの門扉が見えている。
 俺は通りを挟んでライカを停めていた。降車してボンネットに体重を預けて立っていると、警備員と何度か目が合った。
 ラミー校というと誰もが名前くらいは知る有名学校だ。勉強ができるボンボン・・・・がこぞって通うらしい。じいちゃんからは行儀よくしろと言われていたが、敷地には入らないのだから関係ないだろう。
 道すがら買ったケチャップ味のスナック菓子をつまみながら、石造りの洒落ついた校舎を眺めていると、いつの間にか警備員が2人に増えていた。どうやら不審者か何かだと思われているらしい。
「俺だっていたくているんじゃねーっつーの」
 すると門扉の奥にレオの姿が見えた。タキシードのようにも見える恰好は制服だ。フリル付きの白シャツとストライプのベスト。見ているだけで窮屈になる。
 レオが俺に気付くと、眉間に谷のような皺を作った。
 イラっときたので俺も皺を作り返してやった。
 すると門扉の傍で、教師らしき男がレオに声をかけた。
「ぎゃはっ。なんだ、あの顔」
 教師と話すレオの表情は、普段の奴からは想像もできないほど朗らかで、いかにも優等生だった。二言三言交わすと、道路を渡ってくる。
「よお。めちゃくちゃ待ったぞ」
「お前を呼んだ覚えは無いぞ」
「俺は代打だよ。つーか何だレオ、さっきの顔。ぷぷっ。どこの爽やかぼっちゃんだよ」
「黙れ。お前のような低俗な人間には外面の重要性というものは理解できんだろ。それより、何で迎えにお前を寄越す。せめてクリスにしろ」
「あ~ん? じゃあ乗せねーぞ。歩いて帰りやがれ」
「貴様こそキーを置いて帰れ」
「お前は免許持ってねーだろ!」
「運転はできる。免許を取ったばかりのくせに偉そうにするなよ。まったくアホのクリスが免許の確認もせずに入社の推薦なんかするから……」
「もう免許は取ったんだからぐちぐち言うなよ」
「お前のような腐乱し切った輩でもピノクルの社員であり、カーディーラーだ。道交法違反なんか一度でもやってみろ、即座にクビだからな」
 クビのことを言われると立つ瀬が無くなる。俺は金が要るんだ。
「ふん。ようやく立場が分かったようだな。それじゃあ、さっさと開けろ」
 いつまで経っても乗り込まないと思っていたら……こいつ、俺がドアを開けるのを待っていたのか。
「ざっけんな! テメーで開けろ!」
 レオが俺に冷たい視線を向けながら、人差し指で、自分の細い首筋を何度か横に切ってみせる。
「だーっ、面倒くせぇなぁ! ほらよ! さっさと乗れ!」
 俺は乱暴にドアを開けて、レオが乗り込んでから脚を挟んでやる勢いで、乱暴に閉めた。

 ライカが運河沿いの道を走る。レオが俺の運転の一挙手一投足を観察しているのが分かり、まるで教習所のようで心地が悪かった。
「つーかさ、よく知らねーけどラミー校の生徒ってたしか学校で暮らすんじゃねーのか」
 レオが鼻から短く息を噴く。
「全寮制だが俺は特別に外出が許されている。というよりほとんど通っていない。俺には支店の仕事があるからな」
「へー。さすがピノクルの御曹司。でも他の奴らは学校から出ないんなら、お前はいつダチと遊びに行ってんだよ?」
「……行かん」
「は? 俺が中学生のときは夜まで遊び回ってたぞ。毎回リンジーにめちゃくちゃ怒られたけど」
 リンジーは俺の出身である孤児院、サンフィールズの施設長だ。リンジーが不在のときは俺が子供たちの面倒を見ることも多かったが、たまに遊びに行ったときはつい羽目を外して帰宅が遅くなったものだ。
「…………」
 するとレオの口が止まった。
 相手がピノクルの跡継ぎとなれば、ラミー校の生徒といえど物怖じしてしまうだろう。おまけにこの絞った雑巾以上にねじくれた性格だ。
 いるわけないと思ってはいたが、実際に友達がいないと分かると、ちょっとかわいそうな感じもする。
 そんなことを考えながらカーナビの指示から外れて、大通りから小道に入る。
「おい、道が違うだろ」
 レオが語気を荒らげた。俺はカーナビを停止する。
「こっちのほうが近いんだよ」
「急いでいないぞ! なんでこんな狭いところを走る必要がある!」
「どこを走ろうが俺の勝手だろ!」
 そして大きな通りに戻る。すると一度指摘してスイッチが入ってしまったのか、捲し立てるように俺の運転にケチをつけてきた。
「おい、今ちゃんと方向指示を出したのか!?」
「出してただろ! 一瞬!」
「車間距離が近い!」
「近くねーよ! ちゃんと止まれるっつーの!」
「一時停止はしっかり止まれ!」
「停止した! しっかり停止した! 小鳥がボンネットに止まったね!」
「おい! 追い越しをするときは──」
「だーっ、ごちゃごちゃうるせーな! 俺が運転してんだから俺に任せとけよ!」
 俺のイライラも頂点に達して、思わず目についた店の駐車場に急ハンドルで入った。ハンバーガーチェーンだ。
「……おい、何をしている」
「ちょっと寄り道させろ。腹減ったんだよ」
「車で物を食うな!」
「いーだろ、別に! クリスの車だし!」
「そうだったな、じゃあいいだろう……ってそうじゃない。道草を食っている暇は無いんだよ。仕事がある」
「あ~はいはい、もういいですよ」
 俺は停車せずに、そのまま駐車場を出た。
「だいたい日頃のお前の勤務態度は何だ。それでピノクルの社員を名乗っていいと思っているのか? いや、言葉遣い一つとっても──」
 吐き気を催しながら、俺はハンドルを握っている。
 クリスの言った通りお小言地獄は止めどなく続いた。

 なんだかんだ言いながら会話が途切れることもなく車は走っていた。だが、そのほとんどがレオのお小言で、いい加減にうんざりしてきた。
「そもそもクリスが貴様を連れてきたときから疑ってかかるべきだったんだ。いくらプレイヤーだからと言ってもこんな柄の悪いヤンキー崩れなんか──」
「俺はヤンキーじゃねえっつーの。つーかお前よくそんな悪口じみたことを延々と喋り続けられるな。どういう性格してんだよ」
 もはやイラつきもしなくなってきたが、疲れる。
 話題を変えよう。
「そうだ、レオ。お前、牛乳飲むのが日課なんだってな」
「……それがどうした。貴様に関係あるか?」
 けけっ、とわざといやらしく笑う。
「ホントは苦手らしいじゃねーか。身長が低いからだろ? 我慢して飲んでるなんて健気じゃねーか、なぁおい」
「ふん。今に見ていろ。俺に見下ろされて悔しがるお前の顔はさぞ見ものだろうな。……で、なんで突然そんな話をする」
「ああ。牛乳、いつも支店の冷蔵庫に入れてるだろ。飲んでいーんだと思ってもらってたら、今朝ウェンディがそれはレオのだって教えてくれたんだよ」
「ほーう……」
「いやー、わりぃわりぃ」
「近頃、妙に減りが早いと思っていたら犯人はお前か。構わんぞ、給料から天引きしてやるからな」
「はっ!? 牛乳くらいいーじゃん! しかもお前、金持ちだろ! つーか、取られたくないなら名前書けよ!」
「金の問題ではない。名前があろうがなかろうが自分のものではないものに無断で手を付ける、その品性が気に食わんのだ。まあいい、今回は大目に見てやる」
「はいはい、すいませんね。俺は育ちが悪いですよ」
 『自分の物には名前を書く』というのは俺が育ったサンフィールズのルールだった。まだ生活規範の整わない子供も多いため、集団生活の上では大切な約束事だった。名前を書かなければ、取られても文句は言えない。
 ――一瞬、皆のことを考えていたら会話が途切れた。するとレオが口を開く。
「で、孤児院のほうはどうだ。みんな元気なのか」
 レオもサンフィールズのことを考えていたらしい。
 そんなことを気にするなんて、ちょっと意外だ。
「……まぁ、仕事もあるしあんまり行けてないから分かんねーけど、なんかあったら連絡してくんだろ」
「電話くらいできるんじゃないのか」
「いーんだよ。どいつもこいつも育ちざかりの元気モリモリだ。俺はもう卒業してるからさ、頻繁に顔出したら寂しがってるとか思われて、逆に心配かけんだろ」
 一瞬の間を空けてから、レオが言う。
「だが子供の数も少なくないだろう。お前なんかでも、大人が減ったら残った人たちは大変だろうな」
「俺なんかいなくても変わんねーよ。ああいうところで育った子のほうが、意外と自立してるもんだぜ」
「……むしろお前がいなくなって、親代わりのリンジー・ベッツ氏も肩の荷が下りてるんじゃないか?」
 これは嫌味ではないと分かる。
「ははっ。それもそうかもな」
 ハンドルを大きく切って、交差点を右折する。
「レオのほうこそ、親父さんとどうなんだよ」
「社長と呼べ。お前の雇い主だぞ」
「会ったことないし実感ねーよ。そういえばお袋さんはどうなんだよ、なんも聞いたことねーけど」
「母親はいない」
 前方の車のブレーキランプが灯り、俺はゆっくりとブレーキを踏み込んだ。赤信号だ。ハンドルに触れる4本の指を波のように動かして待つ。
 ここで一般的には「変なこと聞いて……」とか言って謝るところだろうが、肉親を知らない俺には分かる。
「へえ。ま、別に気にしてねーんだろ?」
 サンフィールズが家で、リンジーが親というのが俺の普通だ。その点はレオも俺と同じような感覚だと何となく思っていた。むしろ親父さんとの関係を気にしているように思える。
「ふん。勝手に決めつけるな」
 信号が青に変わって、ゆっくりとアクセルを踏みながら横目でレオを見た。正面を向いたままだったが、小さく笑ったような気がした。
 支店は間もなくだ。
「あー、腹減ったな。誰かさんに飯を食うことも禁止されたから空腹で死にそうだよ」
「他の奴らはまだ支店にいるのか?」
「いるんじゃねえか? 今日はみんな内勤だったはずだろ」
「なら……さっきの店に戻れ」
「はぁ? なんで? つーかさっきの店ってどこのこと言ってんだよ」
 レオが顔を顰めて横から俺に視線を投げてくる。
「低俗なお前が好きな低俗な食い物屋だよ」
「さっきのハンバーガー屋か? まさかお前食いたいの?」
「たわけ。俺は食わん。差し入れだよ」
 なるほど。予想外過ぎて全くぴんと来なかった。
「ひゅー、さすがボス」
「こういうときだけボス呼ばわりするな」
 奢りということだ。これはラッキー、理由はよく分からないが今日の子供店長は機嫌が良いらしい。
 俺は「あいあいさ」と言いながら、車を転回させて反対車線に入る。
 西日が眩しかったため、懐からサングラスを取り出した。
 レオがじっと見ているのを感じながら、サングラスをかけた。
「どうだ、似合うだろ?」
「……まさかそれは、クリスのサングラスか?」
「お前らよく気付くな」
「クリスは何か言ってたか?」
「いや、初任給で買ったって……あと、その日に車に轢かれたって。なんだよ、何かあんのか?」
 すると、レオが「くくく」と笑いを堪えて小さな肩を震わせる。
「あー、イラつくな! 何なんだよ、お前ら! 何があったのか言えよ!」
「くははははっ! いいじゃないか、よく似合ってるぞ。せいぜい後生大事にすることだな」
「チクショウ! ちゃんと教えろよ!」
 結局、支店に帰っても、誰も何も教えてくれなかった。もらった物は使うつもりだが、この日の夜は気になって寝つきが悪かった。

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